2024年11月6日水曜日

4-1-4 Bernd H. Schmittによる「経験価値」

  Bernd H. Schmitt(1998)は、エスセティクスマーケティングを「企業やブランドを通じて感覚的経験を顧客に提供し、組織やブランドのアイデンティティ形成を促進するマーケティング活動」と定義した。エスセティクスの語源はギリシャ語「感覚的に知覚される美学・審美観」で、企業やブランドのアイデンティティの開発・実行にはエスセティクスが不可欠であり、「企業の表現」が「顧客の印象」への至るプロセスにおいては、「スタイル」と「テーマ」が重要なコンセプトである、と指摘している。スタイルとは視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感に働きかける特質のことであり、テーマはスタイルに意味を吹き込む中核的なメッセージである。そしてエスセティクスが組織にもたらす利益として「顧客ロイヤリティ」「プレミアム価格」「情報の洪水の突破」「競合からの防御」「生産性(ガイドラインによる組織の方向性の統一)」を挙げている。

 Bernd H. Schmitt(2000)は、前著「エスセティクスのマーケティング戦略」における「エスセティクス」をキーワードとした感覚的経験だけではなく、認知・思考過程を経る個人的な経験、さらに自己表現・帰属性といった社会との関係性の中で得られる経験まで含めて対象領域として拡張している。同著では、マーケティング活動に役立たせる戦略的基盤として、経験価値をSENSE(感覚的経験価値)、FEEL(情緒的経験価値)、THINK(創造的・認知的経験価値)、ACT(肉体的経験価値とライフスタイル全般)、RELATE(準拠集団や文化との関連付け)の5つに分類した「戦略的経験価値モジュール(SEM:Strategic Experiential Module)」を提案している。以下、5つの分類について説明する(表1)。

 「SENSE(感覚的経験価値)」とは、顧客の五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)に直接的に訴えかけることにより、感覚的に生み出される経験価値のことである。前著で詳述した美的な楽しみ(エスセティクス)、あるいは刺激的な興奮を顧客に提供することができる。

 「FEEL(情緒的経験価値)」とは、顧客の内面にあるフィーリングや感情に訴えかけることにより、情緒的に生み出される経験価値のことであり、比較的程度の軽い気分(Moods)から程度の強い感情(Emotions)まで含む。

 「THINK(創造的・認知的経験価値)」とは、顧客の創造力を引き出す認知的・問題解決的な経験を通して顧客の知性に訴求する経験価値のことである。

 「ACT(肉体的経験価値とライフスタイル全般)」とは、肉体的な経験価値、ライフスタイル、そして他人との相互作用に訴える経験価値である。

 「RELATE(準拠集団や文化との関連付け)」とは、集団社会における個人の自己実現への欲求に訴求する経験価値のことである。消費者がお互いに結びつきを感じるユーザー・グループの形成から、消費者が特定のブランドを社会的な中核とみなし、自ら率先してそれを奨励し促進していくというロイヤリティの高いブランド・コミュニティの形成に至るまで広範囲に及ぶ。

表1 5つの経験価値

SENSE(感覚的経験価値) 

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を通じた経験

FEEL(情緒的経験価値) 

顧客の感情に訴えかける経験

THINK(創造的・認知的経験価値) 

顧客の知性や好奇心に訴えかける経験

ACT(肉体的経験価値とライフスタイル全般) 

新たなライフスタイルなどの発見

RELATE(準拠集団や文化との関連づけ) 

特定の文化やグループの一員であるという感覚

出典:Bernd H. Schmitt [2000]『経験価値マーケティング』ダイヤモンド社より著者作成

引用参考文献

バーンド・H・シュミット[1998]『エスセティクスのマーケティング戦略』ダイヤモンド社

バーンド・H・シュミット[2000]『経験価値マーケティング』ダイヤモンド社

4-1-3 経験価値の事例

  経験価値を積極的に施策に取り入れている代表的な事例としてはハーレー・ダビッドソンとスターバックスがある。本項ではハーレー・ダビッドソンとスターバックスの事例について解説する。

 ハーレー・ダビッドソンは、1980年代に直面した経営危機からの復活劇はブランド・エクイティの再構築とライフスタイルマーケティングを重視し、顧客の「ハーレー体験」(表1)を経営基盤の根幹に位置付けたことによる。ライフスタイルマーケティングに関しては、日本法人のハーレー・ダビッドソン・ジャパン(以下HDJ)の活動がある。HDJは、顧客接点となる販売店教育を基盤としたライフスタイルマーケティングの環境作りにより、顧客の「ハーレー体験」を支えている。

表1 ハーレー体験:ライフサポートプログラム「10の楽しみ」


出典:日本マーケティング学会[2016]第14回 価値共創型マーケティング研究報告会資料より筆者作成

 次にスターバックスの競争戦略は、単に美味しいコーヒーを提供するだけでなく、店舗を家庭、職場に継ぐ「第3の場所」と位置づけ、魅力溢れる豊かな雰囲気を含めた「スターバックス体験」を提供することである。(長沢ら,2005)
 また、ハワード シュルツ他[1998]はスターバックス体験について、「スターバックスの製品は単にコーヒーだけに留まらない。スターバックス体験と呼ばれるものも、われわれの製品なのである。それは快適で入りやすく、しかも上品で優雅なスターバックスでしか味わえない魅力溢れる豊かな雰囲気に他ならない。(中略)スターバックスのどの店も顧客が見、触れ、聞き、嗅ぎ、味わうものすべてのものに気を配りながら運営されている。感覚を刺激するあらゆるものが、高い基準を満たしていなければならないのだ。絵や彫刻、音楽、香り、外観、そしてコーヒーの味わい。それぞれを通して、『ここにあるものはすべて最高である』というメッセージを顧客の潜在意識に送り届ける必要がある。」(41)と述べている。
 ハーレー・ダビッドソンやスターバックスにおいて、それぞれの企業は単にバイクやコーヒーというプロダクトを販売するということに留まらず、そのプロダクトを購入することを通して顧客が得ることができる経験(体験)をいかに重視して施策を打っているかがわかる。

引用参考文献
長沢伸也編著[2005]『ヒットを生む経験価値創造』日科技連出版社
ハワード シュルツ他[1998]『スターバックス成功物語』日経BP

4-1-2 マーケティング理論としての経験価値と「経験」の概念特性

 長沢ら(2005)は、マーケティング理論における経験価値の捉えられ方の歴史を以下のように解説している。

 1960年代における消費者行動の包括的概念モデルの集大成といわれるハワード=シェス・モデルは、広告、価格などの消費者への刺激とそれに対する店舗や製品ブランドの選択、購買などの顕示的反応、およびその両者を繋ぐ態度、意図といった媒介的反応という3つの側面で捉えようとする「刺激‐生体‐反応(S-O-R)」理論に基づいている。

 1970年代に入ると、消費者行動研究は態度形成、態度変容を中心とした研究の段階に移った。新たな分析視点として1970年代後半以降に台頭してきたのが「消費者情報処理」理論といわれるものである。この理論は、消費者の行動が目的の存在を前提としているが、環境の変化に対して常に一方的・受動的に消費者が反応するというわけではなく、一定の自由裁量を持って環境に主体的に働きかけ、自らの目標達成のために能動的問題解決をしようとする、というものである。

 1982年 E.C.HirschhmanとM.B.Holbrookは、「Hedonic Consumptiom(快楽的消費)」という概念を提唱し、製品使用という「経験」の「multi-sensory(複合的知覚・感覚)」、「fantasy(想像)」、「emotive aspects(情緒的側面)」と関連した消費者行動がいかに多面的(審美性、無形性、主観性など)であるかを論じた研究を行っている。

 また、長沢ら(2005)は「経験」の概念を、先行研究を踏まえ表1のように整理している。

表1 「経験」の概念

出典:長沢伸也編著[2005]『ヒットを生む経験価値創造』日科技連出版社より筆者作成

4-1-1 経験価値が注目される背景

  経験価値が注目される背景として、Bernd H. Schmitt(2000)は伝統的マーケティングと比較しながら、以下の4つの特性を述べ指摘している。

 まず、伝統的マーケティングは、主に機能的特性(Feature)と便益(Benefit)にフォーカスしている。伝統的マーケティングが仮定しているのは、さまざまな市場(産業用品、消費者用品、技術、サービス)の顧客(ビジネス顧客や最終消費者)が、自分たちにとっての重要性に従って機能的特性をウエイトづけし、製品特性の存在を評価し、全体的に最高の効用(ウエイトづけした特性の総和と定義される)をもつ製品を選択することになっている。このフレームワークに適さないものすべては、それがどんな意味なのか概念的理解のないままに、せいぜい「イメージ」効果とか「ブランド」効果と名付けられることになる。あるいは、最悪の場合、「不適切」で「意味のない」誤差、と考えられてしまっている。

 次に、伝統的マーケティングでは、マクドナルドの競合をバーガーキングやウェンディーズなど同じハンバーガー業界と考える。ビザハットやフレンドリーズやスターバックスなど他のファストフードやカフェを競合と考えない。伝統的マーケターにとって、競争は主に狭義の製品カテゴリー内で起こるものと考える。

 次に、伝統的マーケティングでは、顧客を理性的な意思決定者であると考える。例えば意思決定のプロセスとしてニーズの探知、情報探索、代替案の評価、購買と消費といった流れをたどると考える。だが、実際に人はこのようなプロセスでモノやサービスを購入するだろうか?

最後に、伝統的マーケティングは分析的、計量的、言語的である。例えば回帰モデルやポジショニング・マップ、コンジョイント分析などが頻繁に利用される。これらの方法や有益な洞察を与えてくれる状況も存在する。だがそれぞれの手法には限界がある。企業内で調査の目的と機能を考えることが重要なのである。


引用参考文献

バーンド・H・シュミット[2000]『経験価値マーケティング』ダイヤモンド社

4-1 サイクルツーリズムにおける経験価値

 サイクルツーリストは、サイクルツーリズムの経験の過程を通して価値を感じる。本章ではサイクルツーリストがサイクルツーリズムを通してどのような経験をしているのかをBernd H. Schmitt(2000)が述べている5つの経験価値(「SENSE:感覚的経験価値」、「FEEL:情緒的経験価値」、「THINK:創造的・認知的経験価値」、「ACT:肉体的経験価値とライフスタイル全般」、「RELATE:準拠集団や文化との関連づけ」)により明らかにし、サイクルツーリズム固有の経験価値について述べる。

引用参考文献

Bernd H. Schmitt [2000]『経験価値マーケティング』ダイヤモンド社

3-2-4 自然ツーリズム

 菊地(2015)は、自然ツーリズムとは自然+ツーリズムであり、ここでいう自然とは人間の手の加わっていない山や川、草、木など原生な環境のみならず里山や都市の自然も含む。つまり、自然とは人間の手入れの有無よりも視覚的に生物(植物・動物・水・土)などを感じられる感覚的な存在である。と述べている。

 また、観光とツーリズムの違いについては[5-1-1ツーリズム・観光とは]で述べた。以上から自然観光とは自然をみるという行為に重きがおかれた用語である。他方、自然ツーリズムとは行為にこだわらず、自然を「感じられる地」を目的として移動し、その間に行われる一連の行為すべてを指す用語なのである。つまり、自然ツーリズムとは自然観光をも包含したより広い意味を持っている(図1)。


図1 自然ツーリズムの種類
出典:菊地 俊夫他著[2015]『自然ツーリズム学 (よくわかる観光学)』朝倉書店,p2より筆者作成

 菊地(2015)は、自然ツーリズムには多くの形態が含まれる、と述べている(表1)。
最近国内でもインバウンドを対象とした観光コンテンツとしても注目されているアドベンチャーツーリズムは、旅行者が地域独自の自然や地域のありのまま文化を、地域の方々とともに体験し、旅行者自身の自己変革・成長の実現を目的とする旅行形態である。 
 また、エコツーリズムとは、自然・歴史・文化など地域固有の資源を生かした観光を成立させること、観光によってそれらの資源が損なわれることがないよう、適切な管理に基づく保護・保全をはかること、地域資源の健全な存続による地域経済への波及効果が実現することをねらいとする、資源の保護+観光業の成立+地域振興の融合をめざす観光の考え方である。それにより、旅行者に魅力的な地域資源とのふれあいの機会が永続的に提供され、地域の暮らしが安定し、資源が守られていくことを目的としている。

表1 自然ツーリズムの主な形態
出典:菊地 俊夫他著[2015]『自然ツーリズム学 (よくわかる観光学)』朝倉書店,p3より筆者作成

3-2-3 複合施設の重要性

 竹内ら(2018)は自然と文化の複合である複合型観光資源の役割が現代観光において高まっていることも指摘している。例えばフランスの田園風景、郷土景観としての津和野や歴史景観としての妻籠宿は、個々の要素はそれほどの価値があるとはいえないが、全体として一つのまとまりを見せる時、観光対象として極めて強力な誘引力をもつといわれる。

 また、複合型資源を維持するためには、構成要素を個々に保存するよりも、地域全体を全面的に保存対象とする考え方が有効である、と述べている。観光資源については、ストーリー性やテーマ性の設定の重要性が度々指摘されているが、特に複合型資源では、個々の構成要素を結びつけ、一つのまとまりを形成するために必要となる、と述べている。

 複合型観光資源を対象にする事業には、地域やその文化が大きく関係する。例えば、地域の観光まちづくりや、祭りを通じた集客、リゾート事業である。わが国では、歴史的な風洞景観・歴史景観の指定・保存が推進されつつあり、こうした傾向は複合型観光資源としての認識に基づくものであるといえる。

引用参考文献
竹内正人他[2018]『入門 観光学』ミネルヴァ書房

4-1-4 Bernd H. Schmittによる「経験価値」

  Bernd H. Schmitt(1998)は、エスセティクスマーケティングを「企業やブランドを通じて感覚的経験を顧客に提供し、組織やブランドのアイデンティティ形成を促進するマーケティング活動」と定義した。エスセティクスの語源はギリシャ語「感覚的に知覚される美学・審美観」で、...