サイクルツーリズムにおいて、自転車自体は私的財であるし、走行する道路はじめ様々な公共財がインフラとして存在するなど、様々な財によって成り立っている。本節ではサイクルツーリズムにおける財について論ずる。
まず、公共財と私的財について概説する。通常の財を私的財と呼ぶ。表1が示すように、公共財には私的財とは異なる性質がある。政府はある特定の人だけを対象として、公共サービスを限定的に提供することはできない。ある特定の人を、例えば受益に見合った負担をしていないからという理由で、その財・サービスの消費から排除することが技術的、物理的に不可能である。その社会に住む人なら誰でもその公共サービスを受けることができる(排除不可能性)。また、ある人がその公共サービスを消費したからといって、他の人の消費量が減るわけでもない(消費の非競合性)。公共財とは通常、消費における非競合性と排除不可能性から定義される。
消費における排除不可能性と非競合性は、公共財を特徴づける2つの大きな性質である。完全にこの2つの性質が成立する公共財は、純粋公共財と呼ばれる。こうした公共財は、国民がすべて等量で消費している。一国全体の防衛や治安、防災、伝染病などの検疫などはこの例である。上の2つの性質を近似的に満たすものは、公共財と考えることができる。わかりやすくいいかえると、その支出が特定の経済主体だけでなく、他の人々にも便益を及ぼすような財は、広い意味で公共財と考えられる。
また、ただ乗りとは、負担をともなわないで便益を受けることである。通常の私的財であれば、市場価格という対価を支払わないかぎり、その財を消費することができない。受益者が負担する原則である。排除可能だから、ただ乗りしようと思ってもできない。しかし、公共財の場合は排除が不可能であるために、たとえ負担しなくても、何らかの便益は享受できる。公共財の評価が各人で異なるときや、所得格差が拡大しているときに、このただ乗りの可能性が大きい。
表1.公共財と私的財
公共財 |
私的財 |
|
排除可能性 |
な し |
あ り |
競合性 |
な し |
あ り |
ただ乗り |
あ り |
な し |
次に、準公共財について概説する。純粋公共財と私的財との中間的な性質をもつ財が、準公共財である。具体例として、街灯を想定しよう。複数の人々がいるとし、街灯はいずれかの個人の家の前に設置されるものとする。設置された家の前での明るさを1とすると、この街灯が他人の家に及ぼす明るさが問題となる。これが0であれば、他人の家に何ら便益を及ぼさない場合には、街灯は私的財である。逆にこれが1であれば、どこの家にも同じ明るさを及ぼす場合には、街灯は純粋公共財である。さらに、これが0と1のあいだであれば、他人の家に多少の明るさは及ぼすけれども、自らの享受する明るさほどでもない場合には、この街灯は準公共財とみなされる。表2‐3は純粋公共財と準公共財を比較している。
表2.純粋公共財と準公共財
純粋公共財 |
準公共財 |
|
意味 |
排除不可能性、非競合性が完全に成立 |
排除不可能性、非競合性がある程度成立 |
例 |
防衛費、基本的な経済秩序の維持費用 |
地域の公共資本、公園 |
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